1/20 眼ぐすい(みーぐすい)コスモス満開!沖縄の友人からの便り

友人から届きました。

「眼ぐすい(眼の薬・目の保養)!今日、仕事の営業中に出会ったコスモス畑の写真を送ります。ヤマトでは秋を代表する花(秋桜)ですが、沖縄では今頃、満開になります。
今を盛りと咲き誇るコスモスに、私も思わず写真を撮りました。眼も心もホックリした一時でした」
素敵ですね。私もいただいた写真だけでも、眼ぐすい(みーぐすい)、命ぐすい(ぬちぐすい)です。
ありがとうございました。

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1/3 新年おめでとうございます

明けましておめでとうございます

皆さまにとって、素晴らしい一年となりますように。

ご健勝をお祈り申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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12/10 東田中学校“みんなの学校”上映会に参加しました

昨日は17時から区立東田中学校で、“みんなの学校”’(大阪市住吉区にある大空小学校)の上映会があり、私も予約を入れ参加をしました。障がいのある子もない子も同じように地域の学校に通う学校。みんなでつくる学校の紹介です。子ども達も先生も、地域の人々もあたりまえに、同じようにともに教室にいて勉強し、学校生活を過ごしています。特別支援教室はありません。6年生のクラスには10人の障がいをもった子どもたちが一緒です。他県や他の学校では通うことが出来なかった子どもたちが、大空小学校では毎日投稿するように。
大空小学校は近くの小学校がマンモス化し、その解消のためにつくられた学校。はじめての開校式、何の連絡(児童に対する認識すら持たない状態で)もなく突然転校してきたある児童が、体育館を声をはりあげて走り回る様子に、その時校長は“ややこしい子が入った。この子さえいなければ学校運営がうまくいくのに”と考えた自分がいたこと、ある日その子が特別支援の担当と向き合っているところに校長が入ってい行ったことで、その子は教室を急にでていってしまった。その日は雨で廊下は濡れておりその子を追いかけた特別支援担当の先生がドシーンと滑ってこらんだ時に、その子は逃げるチャンスなのに戻ってきて、先生のお尻をなでて“痛いね、痛いね”を連発していたその様子を見て、全く言葉をしゃべれない子だとおもっていたその子の様子に、校長も周辺の子ども達も誰一人として声を出す人がいなかったという。その経験が“みんなの学校”みんながつくる学校の礎になったという話が出ていました。
いろんな問題が起こりますが、子ども達の中に解決能力があります、そのことを信じて、先生も周りの大人たちも関わっています。子どもって本当に素晴らしいです。
6年生の担任で他校から新しく来た先生が、子ども達が当たり前に支えあう様子を見て、“子ども達にはいっしょに積み上げてきたものがある”と語っていたことも印象に残りました。障がいのある子ども達とのかかわりの中でまわりの子どもが、大人が、地域が変わっていくことが、強く伝わってきました。
子ども達にとって、現在の学校が“安心できる場所”であるのかどうか、ここが大きな課題であるように思えます。
上映には、東田中校長、中学生、小学生も参加し満杯の状態。私は上映の間、涙が出てきてとまりませんでしたが、保護者の中からも鼻をすする音がしていました。
杉並でもめざしたい!みんなの学校!参加して本当に良かったと思います。

この機会を下さった保護者の皆さんに、感謝です。ありがとうございました。

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12/9 方南町駅のエレベーター・エスカレーター本日から利用開始

昨晩遅くに帰宅すると、ポストに手紙が入っていました。地域の防災の課題について書かれたものです。私の住む和泉1・4丁目は狭隘道路や木造密集地域で東京都が示す危険度の高い地域です。災害時の避難問題や対策についての重要な提起でした。調査をする旨を記し、ご自宅に返信を置いてきました.。
 
さて、地域人々の悲願となっていた方南町駅のバリアフリー施設(エレベーター、エスカレーター、障がい者用トイレに点字プロック)の利用が、本日から始まりました。署名を集めたり、東京メトロに届け状況を確認したりと、その取り組みが懐かしくなりました。署名をいただいた方の中にはすでに他界された方々も少なくありません。皆さんの思いがつまった施設です。工事着工から3年を要していますが、できてしまうと、あっという間のような気もしてきます。
早速見学に行ってみました。とても立派な施設が出来ていました。何人もの方々が「こんな風になったんだ~」と上を、下をと、みています。年配の女性の方がこちらに向かってきたので、私から「やっとできましたね」と声をかけると、「こんなに立派なものになるとは思っていなかった」と嬉しそうに応えました。お話をするとすぐ傍に住んでおられるとのことで、工事の騒音・振動大変でしたねと添えると、「私のところも建てるときはそうでしたから、お互い様ですよ」とにっこり。ご近所の皆さんのこうしたご協力があり、完成に至ったのだと改めて感謝の念がわいてきます。
工事関係者の皆さん、東京メトロにも感謝です。とりあえず、うれしいご報告まで。
(写真左:環状七号線側、右は裏の住宅側)

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9/14 9/11から第3回定例会がはじまりました

 第3回定例会が、11日からはじまりました。今回の一般質問は、1区長の歴史認識(関東大震災時の朝鮮人などの虐殺についての認識)について、2介護保険制度の改定について、3介護保険と障がい者支援について、4学童クラブの待機児童対策について、5外環道についての5つの課題について、質しました。
 傍聴にお越しいただいた皆さんには、ありがとうございました。
 関東大震災時の朝鮮人虐殺に対する区長の答弁
 『この事件は、関東大震災時に朝鮮人が武装し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部により朝鮮人等への殺傷事件が生じたもので、平成20年に発行された内閣府が所管する中央防災会議の報告書にもこのような事実が記載されております。
 虐殺された人数等については、様々なご議論があると承知しておりますが、私も、朝鮮人に対する虐殺事件が起こったという事実は、中央防災会議の報告書と同様の認識をもっており、自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は、日本の災害史上なかったものと受け止めております。
 議員のご指摘の通り、過去の出来事を後世に継承していくことは、災害対策においてもとても大事なことです。私たちは、大規模災害時におけるパニック状況下では、情報不足や流言によって、想像もつかないような悲惨な状況を生み出しかねないことを、この事件の教訓としてしっかりと学び、2度とあのような悲惨な出来事を繰り返すことがないよう、この事実を直視し、後世に継承していくことこそが大切であると考えております』と、答弁がありました。
 未来の創造のためにも、過去の過ちを見据え、しっかり記憶し続け、後世に伝え、生かしていくことがとても大切だと思います。
 
 
 

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8/20 山城博治さんを招いた“沖縄とむすぶ杉並集会”は大盛況でした

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昨日の“第13回沖縄とむすぶ杉並集会”は、大盛況。山城博治さんの熱い心揺さぶるお話に聞き入りました。92名の会場が満杯になるほど、多くの方にご参加いただきました。「高校生のお孫さんと一緒に来られた年配の方含め7名の方が入れずに帰られた」と
受付担当から報告がありました。御帰りになられたみなさんには、大変申し訳ありませんでした。

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びかけた13名のうち11名が出席し、11時からの準備を含め、皆が力を合わせたこと、とても異議深いと感じています。
最後は「ヒヤミカチ節」で締めました。うちなーんちゅの私たちはいいけれど、大丈夫かなと心配しましたが、予想外の盛り上がりにとても嬉しくなりました。
「ヒヤミカチ節」は沖縄の闘いのテーマソングだと、友人に送ってもらい、それをプログラムにしました。皆さんにもご紹介しますね…。
取り急ぎ、ご報告まで。

P.Sメモリーに入っていました。ついでに、交流会の写真も一つだけご覧ください。私は写真を全く撮ることができず、皆さんから送ってもらうしかありません。

《ヒヤミカチ節の作詞者・平良新助氏について》
 平良新助氏は、今帰仁村で1876年に出生。‘謝花昇’を先頭とした「沖縄自由民権運動」に参加。明治政府の全権委任で沖縄県令に着任した奈良原繁県知事による琉球処分の具体化=沖縄土地整理(この“事業”で旧琉球王府直轄領地は、現在の米軍北部訓練場などの広大な土地が大日本帝国国有地にされた。それは、今日に至る日本国による国内植民地・沖縄の原型となる)などの沖縄圧殺県政と激しく闘った闘士。
 しかし国家暴力と琉球の“事大主義者”(故大田昌秀さんがよく使ったフレーズ)らの前に、謝花らの闘いは敗北を喫し、メンバーはバラバラになることとなった。謝花は運動敗北後の次の人生を山口県に求め、そこに赴く途中の神戸駅頭で発病、その7年後の1908年に死去。精神の病と闘病中の謝花は学童たちの通学路に「奈良原」という文字を書き、それを踏まなければ通ることを許さなかったという。
 謝花のこのような壮絶な生き様を看取りつつ、平良新助氏はアメリカに移住。沖縄戦に至るまで沖縄に帰ることをしなかった。しかし、沖縄戦の惨状を伝え聞いた平良新助氏は、いてもたってもいられず、この「ヒヤミカチ節」を作詞。曲の振り付けを琉球古典音楽の大家・山内成彬氏に依頼。沖縄戦で身も心も打ちしひしがれたウチナーンチュに心からエールを送った。

ヒヤミカチ節 作詞/平良新助 作曲/山内盛彬
1. 名に立ちゅる沖縄 宝島でむぬ 心うち合わち う立ちみそり
2. 稲粟ぬうなり ミルク世ぬ印 心うち合わち 気張りみそり 
3. 学やないし秀らさ 花や咲ち美らさ 我した此ぬ沖縄 世界に知らさ 
4. 人ぬ取ゆる年ぬ んぱんぱなゆみ うびらじに取たさ 60ばんじゃ
5. 我んや虎でむぬ 羽ちきてたぼり 波路バシフィック 渡てなびら
6. 七転び転で ヒヤミカチ起きり   我した此ぬ沖縄 世界に知らさ

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8/18 辺野古の島袋文子さんを招いた集いに参加しました

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昨日は辺野古の文子おばあこと、島袋文子さん(88歳)をお招きした『沖縄に連帯する市民のつどい』が参議院会館で開催され、参加をしました。280人の講堂に500人が集い、急きょ第2会場を設けるなどの大盛況。
私は文さんとは1997年のヘリ基地の是非を問う名護市の市民投票で知り合いました。私の尊敬する故古波津英興翁(99年にご逝去)のいとこで、当時は、古波津さんと一緒によく文さんのお宅を訪問しました。「(親族で)唯一の理解者は『英興兄さん』」ととても慕われ、現在もお会いした時には「英興兄さんがいなくなって寂しい」とおっしゃいます。昨日のお話で、文さんの闘いの決意が壮絶な沖縄戦の体験に裏打ちされていることを知りました。火炎放射器で半身を焼かれ、目の見えないお母さんと一緒に逃げ惑ったこと、死んだ人間の血の泥水を飲んで生き延びたことなど、胸がつまるお話でした。「120歳まで生きて、基地をつくらせないために頑張る」と決意を語られたことに、満場の拍手がわきました。つどい終了後は、首相官邸前での抗議行動に参加、文さんは「安倍首相に会いたい」こと訴えました。
私も文さんに応えられるよう力尽くします。

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7/16・17 第5回福島を忘れない全国シンポジウムと現地見学会に参加

7月16・17日の福島を忘れない!全国シンポジウム、現地見学が終わりました。メイン講演は『チェルノブイリと福島』NPO法人urPlanetTV代表理事の白石草(はじめ)さん、『避難解除地区の現状』の報告を菅野清一川俣町議会議員、松本静男葛尾村議会議員、渡邊計飯館村議会議員、今野秀則・福島原発事故被害者津島原告団長(浪江町)から受けました。参加者は福島から議員が22名、市民が34名、茨城、千葉、首都圏、遠くは高知県から120名を超える方々が参加しました。殆どの方から「本当に中身の濃い講演や報告でした」と、感想を多くいただきました。
17日の被害自治体の見学も、大型バス2台で100名の参加。1年前とほとんど変わらず厳しい現状、2年前とがらりと変わったところなど、地域によって状況が違っています。まずは写真をご覧ください。(飯舘村の畑の除染土)

画像に含まれている可能性があるもの:空、雲、木、山、屋外、自然、水

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6/15 大田昌秀先生のご冥福をお祈りします

2017615_2大田昌秀先生の逝去の報に接し、とても残念でなりません

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

先日は告別式に参列させていただき、改めて大切な方を失った悲しみがこみ上げてきました。思えば、何度も杉並にお越しいただき、そのたびに貴重なお話に心揺さぶられました。沖縄出身者が呼びかけた「沖縄とむすぶ杉並集会」でのご講演、「戦争体験者100人の声の会」の集いをはじめ、何度お話をお聞きしても、研究熱心な先生のお話には新しい情報があふれ、衰えぬ記憶力と資料の豊富さに驚かされました。2年前、先生の国際平和研究所を友人達と訪問した際は、広げた書籍にはびっしりと赤線がひかれ、日頃の努力が拝察されました。
 先生は壮絶な沖縄戦を体験し、亡くった旧友のために生き残った者の役目を果たすとして、平和の尊さと戦争の愚かさを訴えられたことは多くの方々が知るところです。‘軍隊は決して住民を守らない’こともその体験から、よく話されていました。先生の訃報に接したひめゆり学徒の生存者である上江田千代さんが、電話の向こうで本当に残念だと泣いておられました。同じ体験をされた千代さん...
はお兄さんのように、大田先生を尊敬され、私たちには兄妹のようにも見えました。
先生は久米島出身で、その久米島の離れ島に生まれた私を「あんな小さな島から、よく頑張っている」と嬉しそうに語り、励ましてくださいました。その相好を崩された表情がいまも思い出されます。
毎年の沖縄平和行進や県民大会で帰省した折は、杉並の友人らと何度も国際平和研究所を訪問し、大田先生に面会。90歳になられたころは一回り小さくなられたように感じ不安にもなりましたが、お話すればまだまだエネルギーがみなぎっていることを感じホッとしました。そして最近は、テレビや新聞に映し出されるさらに一回り小さく細くなられた先生には心配でした。今年の5月友人たちと研究所に連絡をすると「体調がすぐれず休んでいる」とのことでお会いすることができませんでした。今から思えばお見舞いに行くべきであったと残念でなりません。
大田先生は私には父のような存在でもあり、心から尊敬する人でした。亡くなられた日は誕生日で、ご家族や教え子にハッピーバースデーで祝福される中、安らかに逝かれたこと、皆さんと握手した際はとても力強く返されたことを、姪の渡辺さんからお聞きしました。
昨日告別式で弔辞を読まれた比嘉幹郎さんの「大田さんが最後までこだわったように、沖縄へのいかなる差別も許さず、恒久平和のために私たちは力を尽くす」という言葉のように、私も先生から学んだ一人として、先生に並ぶことはできないけれど、平和のためにこれからも力を尽くしたいと思います。
大田先生、ありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈りします。

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4/10 昨日のお花見はあいにくの雨

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やっと恒例の花見が終わりました。予算議会開催中も何人もの方から‘いつやるのか’と、お問い合わせがあり、開花予定もなかなか出ないので決めかねていました。満開予定と言われていた4月2日は朝鮮第9初級学校の入学式がありこの日に入れるわけにはいかず、9日に決定したのですが、結果はご覧のように一日中の雨。お弁当35個をすでに注文しており、結局は事務所でやることになりました。手狭な事務所に雨でもお越しになった方が21人。座る場所もないほどでしたが、楽しい時間を過ごしていただけたようです。今日も控室に、「昨日行ったのですが…」と尋ねてこられた方もありました。ああ~申し訳ありまえんと平謝りです。けしばさんや私の連れあいに、早朝5時過ぎに場所確保をしてもらったのですが、シートを汚すだけに終わってしまいました。この掃除が大変…です(-"-)議会が終わり、政務活動費帳簿付け・提出、反原発自治体議員・市民連盟の会計報告(決算)準備で、時間があっという間に過ぎています。ご無沙汰の皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。ご自愛ください。(写真だけでもと、本日撮影しました)

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